くいとめること。

スクワットから全身運動、押し合いへし合い、下半身の鍛錬、腕立て伏せに腹筋、さまざまにからだを動かしました。
汗を絞り切り、ようやっと休憩に入って誰も彼もが呆然としているところ、「でもさ、プロスポーツ選手はこんなもんじゃないからね」と加藤くんがおもむろに卓球のボールで壁打ちをはじめました。まったくです。役者たるもの、せりふを担えるだけのからだ作りは必須ですね。

からだも、心も、使っていないと、どんどんと衰えていきます。
山田太一さんの書かれたせりふで「生きるってことは、自分の中の、死んでいくものを、くいとめるってこったよ」(『早春スケッチブック』)という言葉がありました。気を抜いていると、本当に次々に死んでいき、斃れていきます。

タオルまわしは、10人で170回を数えました。10人で100回を超えるまで、一週間。いったんつかめば、どんどん飛躍します。まだまだ伸びしろの余地があります。熱が帯びますように。グルーヴが宿りますように、排他的でなく、起こったことを受け入れられる、あたたかい熱が帯びますように。

台本の読み合わせも続けます。
今日はテキレジも何もされていないオリジナルの戯曲を数場面抜きだして読みました。
5月の上演台本作成にあたって、カットしたり、構成を入れ換えたり、かなり演出意図を反映させて細部を作り変えていたので、原典そのままの翻訳を実際声に出してみると、何だか新鮮な印象を抱かされます。

まったく新しく、言葉と向きあっています。
丁寧に、丁寧に、読み、戯曲に眠るものを掘り起こしていきます。

(波田野)

この記事へのコメント